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広島高等裁判所 昭和45年(う)193号 決定 1971年10月12日

被告人

岡部保

右の者に対する強盗殺人等被告事件について、弁護人青木英五郎、同阿左美信義から証四号藁繩についての証拠排除の申立があつたので、当裁判所は次のとおり決定する。

主文

本件申立を棄却する。

理由

昭和四五年一一月四日検察官から当裁判所保管の本件藁繩一本につき閲覧のための借り出し申請がなされ、当裁判所が同日右請求をいれて閲覧場所につき特別の指定をすることなく藁繩を検察官に交付したこと、検察官はこれを佐賀市における参考人調に携行し尋問の際これを参考人に示したが、右措置をとるにつき当裁判所の事前許可を得なかつたことは、当裁判所備付にかかる貸出簿の記載並びに当審第五回、第七回各公判における検察官の釈明により明らかである。

ところで刑訴法二七〇条は、「検察官は公訴の提起後訴訟に関する書類及び証拠物を閲覧し、かつ謄写することができる。」と規定し、弁護人等の閲覧権に関する同法四〇条のように閲覧場所を「裁判所」に限定していない。従つて検察官はいわゆる借り出しの方法により裁判所以外の場所においても閲覧することが許されるのであるが、その閲覧の対象物は訴訟の過程を通じて裁判所の保管に帰属するに至つたもので、裁判所はこれが保管につき万全の注意を払い、いやしくも喪失、毀損、汚損等の事故のないよう相当の措置を講ずべき責務を有するのである(刑訴規則九八条)から、検察官の閲覧についても当然相当の制限を加え得るというべきである。そして、このことは検察官の閲覧権がもともと無制限のものではあり得ない、いいかえるとある範囲内における権限であることを示すものであり、だからこそ刑訴規則三〇一条一項は「裁判長又は裁判官は訴訟に関する書類及び証拠物の閲覧又は謄写について日時、場所及び時間を指定することができる。」と規定して、同条により刑訴法二七〇条に規定の閲覧権を制限することを許していると考えられる(刑訴法二七〇条規定の閲覧権がもともと無制限のものであれば、これを規則によつて制限することは許されないであろう)。そうすると、検察官の閲覧権の範囲が問題となるのであるが、閲覧の対象物は千差万別であり、その形状、性質、価値等によつて保存の方法、程度、態様も異なるのであるから、結局個々具体的に安全保持の見地から閲覧権の範囲を合理的に決するほかはなく、裁判所が右見地から必要を感じてあらかじめ刑訴規則三〇一条一項による特別指定をした場合には右制限内でのみ閲覧することができ、たとえ特別指定がなかつた場合においても裁判所が事前に実際の閲覧方法、場所を知つたら当然特別指定をするだろうと考えられるときは、右予想される制限内でのみ閲覧できるものと解する。もつともこのように解すると、特別指定(とくに場所)のない場合閲覧者たる検察官にその範囲が不明確となるおそれがあるのであるが、検察官の閲覧権といえども無制限でなく、安全保持の見地から制限され得ること前述のとおりであり、安全保持につき最も重大な責務を有するのは裁判所であるから、検察官は閲覧の方法場所につき疑問のあるとき(通常の方法、場所における閲覧でないとき)は遅滞なくその旨裁判所に告知しその承認を得るべきであつて、そうしてこそ閲覧対象物の交付をうけた検察官も当然負担すべき安全保管義務(刑訴規則九八条)を十分尽したというべきであり、検察官が右措置を怠つたときはやはり安全保管義務を怠つたもので、事案により閲覧権の範囲を逸脱したとの非難をうけることがあつてもやむを得ないと考える。

これを本件についてみるに、閲覧の対象物は藁繩一本であつて、その材質、形状、価値、従来の保管状況にてらすと、これを検察官が借り出したうえ広島高等検察庁外に持ち出し佐賀市まで携行して参考人に示すがごときは、およそ通常の執務場所で通常の方法により閲覧するのに比し喪失、毀損の危険を増大させるもので、たとえ藁繩を参考人に示すこと自体閲覧権の範囲内に属するとしても、藁繩を検察庁外の遠隔の地にまで移動させることがあらかじめ裁判所に判明していたなら当然場所について特別指定していただろうと考えられ、その意味で検察官の本件措置は閲覧権の範囲を逸脱したとの疑があるばかりでなく、少くとも検察官においてあらかじめ裁判所に対し右措置をとることにつき承認を求めるべきであつたと認められ、結局本件閲覧は刑訴規則九八条、三〇一条の趣旨にてらし違法、失当といわざるを得ない。

しかしながら、これを証拠排除の要否の点から判断すると、検察官の右措置は、すでに適法に収集のうえ適法に裁判所の保管に属する証拠物を閲覧のため移動するに際し裁判所の承認を得ないで保管義務を十分に尽さなかつたという違法であり、しかも本件藁繩が検察官の右措置のために他の藁繩と取替えられたり、混同したりして同一性を失つたという事跡は全くなく、また毀損、変質したと認められるような資料も存しないので、右違法はその態様、結果からみて軽度のものというべく、いまだ本件藁繩の証拠能力を否定し排除決定をなすべき事由には該らないと考える。

よつて刑訴規則二〇五条の五に従い主文のとおり決定する。

(幸田輝治 村上保之助 一之瀬健)

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